今回ご紹介する温泉は鳥取県東伯郡湯梨浜町にある日帰り温泉施設、「ハワイゆ〜たうん」です。
鳥取県の中部にある湯梨浜町には東郷池という大きな池があります。この辺りにはかなり古い時代から人が定住していました。鳥取県の西半分は古代の律令時代から「伯耆国」と呼ばれていた地域で、「伯耆一の宮」とされる倭文神社がこの東郷池の東岸に所在することからも、そのことは容易に推測できるでしょう。因みに、各律令国に散在した神社の筆頭とされるのが「一の宮」で、領内で一番格式の高い神社とされます。
江戸時代の初期、伯耆国会見郡久米(現在の米子市)に封ぜられた戦国大名、中村家でお家騒動1が勃発し、江戸幕府からお家取り潰しが申し渡されます。以降、伯耆国は東の隣国、因幡国の属領とされて、因幡池田家で家老格とされる家来が派遣され、統治が行われました。このとき領内には奉行所が五つ設けられたのですが、そのうちの一つ、松崎奉行所も東郷池の南側にありました。
昭和時代、東郷池の周囲には複数の地方自治体が存在していましたが、平成 16 年にそれらが統合され、湯梨浜町が成立しています。湯梨浜町の名前は文字毎に「湯」=温泉、「梨」=二十世紀梨、「浜」=砂浜に由来するとされています。名前に「湯」の字が加えられるくらい、東郷池周辺では温泉が有名だったわけですね。
令和時代の今、東郷池周辺には具体的に二か所の温泉が存在します。南岸の JR 松崎駅近くにある東郷温泉と、西岸の浅津地域にある はわい温泉です。
日本のハワイ
ハワイゆ〜たうん はその名からお分かりの通り、 はわい温泉に属する温泉施設となります(厳密には湯梨浜町はわい温泉地区ではなく、隣の上浅津地区に所在します)。「はわい」は「羽合」と表記し、合併前の旧・羽合町の一部であったことを示します。この地名は鎌倉時代に「伯井」と呼ばれていたものが訛ったとされていて、戦国時代には既にこの辺りは「羽合」と呼ばれていたのだとか。こんな地名、観光関係者が見逃すはずはなく、 1996 年にアメリカ合衆国ハワイ州と姉妹都市提携を行っています。一時期、ソフトバンクの TV CM で取り上げられて、話題になっていたこともありましたね。南国の楽園ハワイをイメージして地域内には街路樹としてソテツが植えられていたりしますが、真冬に平地でも積雪があるこの辺りでは、やはりかなり無理があると言わざるを得ませんw

前述の通り、ハワイゆ〜たうん は複数の温泉宿が営業する はわい温泉地区からは少々離れた場所にあります。

運営するのは一般財団法人の ゆりはま温泉公社で、この組織はハワイゆ〜たうんの他、東郷温泉でも ゆアシス東郷 龍鳳閣という日帰り温泉施設を運営しています(龍鳳閣もこの blog で紹介しようと考えています)。
施設の詳細
東郷池の西岸を南北に走る県道 185 号東郷湖線のほぼ中央にある ゆ〜たうん は県道から一本入ったところに建っています。

訪れる交通手段としてはほぼ自動車一択になると思われますが、残念ながら駐車場には十台分程度しか区画が確保されていないので、やや注意が必要です。

料金
利用料金は大人ひとりで 370 円です( 2025 年 3 月現在)。激安! 11 枚綴り 3,200 円の回数券もあるようです。
大浴場
浴場としては男女に分けられた大浴場があるだけで、貸し切りの家族風呂などはありません。
しかも、大浴場中央を男女用にばっさりパーテーションで二分割したみたいな構造になっており、天井中央がガラスの素通しになっているのと合わせて、楕円形になった中央の浴槽(大)は「これ、温水プールをそのまま大浴場に改造してるだろ」感がハンパありませんw ま、蛇口を複数備えた洗い場の他、子供向けに底を浅くした浴槽(中)や思い切りクソ熱っい湯を満たした浴槽(小)もありますけれど。
それと、浴場の洗い場には昔懐かしい固形石けんしか常備されていませんから、こだわりのシャンプーやリンス、ボディソープがある方は持参をお忘れなきように(更衣室の手洗い場もティッシュ、綿棒は在りますが、ローション類はありません)。
施設内
残念ながらここで楽しめるのは入浴だけで、レストランなどの併設施設はありません。
一応、受付のあるロビーには複数の自動販売機が設置されていて、牛乳や炭酸飲料、アイスクリームなどを購入してソファでまったりと味わうことはできます。
やはり居ます
そして、ロビーには日本の温泉地と言えばおなじみのアレも居ます。そう、「温泉むすめ」のスタンドポップです。

はわい東郷温泉の温泉むすめ、はわい東郷浮乃はどうやら企画のかなり早い段階から参画していたようで、当施設も激推し。ご覧の通り、スタンドポップが「湯梨浜観光大使」のたすきを掛けている他、キャラクタ缶バッチのガチャマシンが四台設置されている有様。しかも、受付では浮乃のアクリルフィギュアまで買えるらしいです。推し過ぎだろw
- いわゆる「横田騒動」。徳川家康肝いりで派遣された家老、横田村詮が対立した中村家の家臣によって謀殺された事件を指す。この際、村詮の子ら横田側は米子城に籠城して抵抗し、西の隣国・出雲国の堀尾氏に助力が要請される大騒動へと発展した。なお、このときに横田側に助勢した食客・柳生宗章(通称・五郎右衛門。有名な柳生十兵衛三厳の兄)が一人で十八人を斬り殺したとされる逸話が後に「柳生最強伝説」が語られる論拠の一つとされている。 ↩︎
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