今回ご紹介する温泉は島根県大田市温泉津町にある温泉津温泉です。
島根県のほぼ中央に位置する大田市の西部一帯はかつて石見国仁摩郡と呼ばれ、世界遺産・石見銀山がある場所として有名でしょう。現在は閉山して観光施設になっていますが、古くは戦国時代に大内氏や尼子氏、毛利氏といった名だたる戦国大名たちが奪い合った日本最大規模の銀鉱山は江戸時代に徳川幕府の直轄地となり、一時は世界中で流通する銀のおよそ三分の一を算出したと言います。
現在の大田市大森にあった鉱山で採掘された銀鉱石は銀地金に加工されて運び出され、最寄りの港だった温泉津の港で船積みされて萩、下関と日本海を西に向かい、やがて瀬戸内海に入って京大阪、あるいは太平洋を巡ってはるか江戸にまで運ばれたのだとか。
そんな銀街道の一大物流拠点だった温泉津には千年以上前から天然の温泉が湧き出ており、銀を求めて行き交う人々の疲れを癒やし続けてきたのです。
因みに、温泉津温泉には最初から存在した元湯泉薬湯と、明治時代の地震を契機として新しく湧き出した薬師湯、二つの源泉があるそうです。
今回はその二つの源泉のうち、元湯泉薬湯を利用する「温泉津温泉 元湯」を紹介します。
鄙び過ぎ
ここまでの説明で既におわかりの通り、温泉津の町はとても古く、そもそも自動車での往来など全く考慮されていません。

温泉津温泉へ行くには JR 山陰本線の温泉津駅から歩くか、自動車専用道である山陰自動車道の温泉津インターチェンジから自動車で向かうことになります。温泉街のある集落は駅や郵便局のある町の中心部からは山の尾根一つで隔たれていて、港のそばをぐるっと迂回して向かうことになります。道はとても狭く、軽自動車ですらすれ違うのが困難なほどです。温泉街の通りには自動車を駐車できるスペースがごく限られていますから、一旦集落を東に抜けた先にある駐車場に車を停め、歩いて集落の中に戻ってくるつもりでいた方がよいと思います。わたしはバイクで向かったので、比較的楽でした。
タイムトラベル気分
元湯は温泉街のある集落のほぼ中央にあります。
スタイルは古き良き銭湯のそれ。「明治大正昭和の御代から平成をすっ飛ばして、令和の世の中に何でこんな代物が生き残っているんだ?」と思わず突っ込みたくなるレトロな雰囲気です。

男女で別れた入り口を入ると中央に番台があり、そこで利用料金を払ってから再び男女に分かれて脱衣場で衣類を脱ぎ、それぞれの浴場へってな流れになります。
利用料金
利用料金は大人一人 500 円です( 2025 年 3 月現在)。両替機なんて気の利いたモノはありませんから、きちんと小銭を準備していきましょう。一応、千円札を出すと 500 円玉でおつりが返ってきますが。
浴槽
番台に座っていたバb——《……社会性フィルター適用中……》——お姉さんの説明によると、浴場には三つの浴槽があるのだとか。
- 熱めの湯
- わずか 1m ちょっとしか離れていない、自然湧出した源泉から直接引いたお湯。
- 激烈に熱い(湯温 48 ℃)。
- ぬるめの湯
- 熱めの浴槽で一旦冷ましたお湯。
- ぬるめを自称しているが、やっぱり超熱い(湯温 44 ℃)。
- 初心者の方向け
- 源泉から別に長い流路を伸ばし、しっかり冷ました湯。
- いわゆるちょうどいい温感の湯(湯温 40 ℃)。
加水や加温はおろか、そもそもボーリングもしてないのに勝手に地表に湧いてくるお湯をそのまま浴槽に掛け流しているだけという非常にプリミティブな温泉です。
素人が入浴方法を間違えると体調が大変なことになるらしいので、お姉さんお勧めの入浴手順としては
- ぬるめの湯で肩からかけ湯をする。
- 様子見ながらゆっくりとぬるめの湯の浴槽に入り、一瞬だけ肩まで浸かって身体を高温に慣らす。
- 無理をせずに一旦ぬるめの湯を出て、初心者向けの湯の方にゆっくり浸かる。
- 身体が温まってきたら、再びぬるめの湯へ。
- しかし、浸かるのは短時間にとどめ、浴槽外で外気浴して身体を休める。
- ぬるめの湯↔外気浴を繰り返す。
- まだ余裕があるのなら、熱めの湯に挑戦する。
になるのだとか。何だよ、この超難関。
因みに、泉質は低張性中性高温泉とのことですが、鉄分の含有量が多く、湧出直後には透明なお湯はすぐに白濁して、淡茶褐色を帯びます。そのため、浴槽の底が見えないのはもちろん、いわゆる“湯ノ花”が析出して、浴槽の縁が鍾乳石みたいに石化することになります。人の手で作ったお風呂と言うより、天然の鍾乳洞みたいな感じ。しかも含有物が多いので、そのお湯に石けんは溶けにくく、シャンプーなどはあまり泡立ちません。使用が禁止はされていませんが、ソープ類を使って身体をきれいに洗い上げるのは難しいと断ぜざるを得ません。身体の汚れはかけ湯でざっと洗い流すだけで、基本的にはお湯の感触、温感を肌で楽しむモノだと考えましょう。
他施設
基本的に、建物の外側がモルタル塗りになり、窓にアルミサッシが入っただけで、建物の基本構造はここ数百年変わってないだろうと思われるトラディショナルな銭湯ですから、基本的に入浴設備以外は何一つありません。脱衣場にドライヤーすら置いていない徹底ぶり。この百年で変わったのは、番台で冷たいミネラルウォーターが買えるようになったくらいではないかと思われます。
いちおう、道を隔てた反対側に飲料の自販機がありますから、そこで冷たい炭酸飲料などを入手することはできます。っていうか、わたしはそうしました。キンキンに冷えたコーラとかソーダとかを飲みながら、ちょいと離れた番台にいるお姉さんと「どこから来たの?」「ちょいとバイクで遠方から」「あらあら」みたいな世間話を楽しむのがここでの正しい過ごし方だと思われます。
時が止まった町
温泉街とは言っても通り一つに古い温泉旅館がぽつぽつあるっきりの鄙びた風情があるのが温泉津温泉です。
入浴を終えて、駐車場に止めたバイクのところに戻ったら、すぐそばで梅の花が咲いてました。

風情あるなあ。
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