バイク記事第二弾はタイトルの通り、スズキの GAG について語ります。アイキャッチ画像は例によって“バイクの系譜”さん https://bike-lineage.org/unpopular/gag.html からお借りしています。
さて、以前の記事の通り、わたしは当初、生まれて初めてのバイク、ヤマハ JOG に乗っていたわけですが、あるとき、とあるバイクとそれはそれは衝撃的な出会いをしてしまうのです。
衝撃的な出会いし過ぎ問題
……まあ後からと考えると、度々衝撃的な出会いに出くわして、その度に人生を転落していくことになる(マテ)わたしなのですが、このときの出会いが最初のダメポイントだったのではないかと思われます。
その出会いとは、とあるイベントでヤマハの YSR50 の姿を目撃してしまったことでした。当時はこのヤマハ YSR50 を始め、ホンダの NSR50 などフルカウルのレーサーレプリカ原付バイクが大ブレイクしていたのです。変速操作要らずの楽ちんスクーターに慣れていたわたしには、クッソ面倒くさいマニュアルミッションが非常に魅力的に見えたのですね。
わたしはさっそく JOG を購入したバイク屋さんに向かいました。そして購入したのがスズキの GAG だったのです。なんでやねーんっ! (渾身の自己ツッコミ)
いや、最初はちゃんと YSR50 を買う気でいたのです。しかし、バイク屋の店頭に展示されていた、ミリタリーチックな US エアフォース風の星印ペイントが施された GAG の姿に惹かれて、コロリと転向してしまったのでした(衝撃的過ぎる)。
GAG のスペック
スズキ GAG は空冷 50c.c. の原付バイクでしたが、そのボディはフルカウルで覆われていて、ステアリングも所謂セパハン、セパレートハンドルになっていました。当然、着座姿勢は極端な前傾となります。原付の割りに容量が 7 リットルもある燃料タンクに抱き付くような格好と言えば想像がつくでしょうか。当然、体重の大半がハンドルを握った両手首にかかることになりますから、苦しい格好なんてものじゃありません。ただでさえ小さい車体に身体を折り畳んでしがみ付いているのですから。
しかも、 50c.c. の小さなエンジンは当然空冷式。その周囲に放熱フィンを備えてはいるものの、その放熱能力はたかが知れたものです。事実、夏の盛りに郊外の田舎道を走っていたら、オーバーヒートして立ち往生、なんて羽目に陥ったりしました。
では、どうするのか? 当然、社会人になったばかりのわたしにエンジン自体を改造するなんて手段がとれるはずもありません。そこでわたしが頼ったのは……。そう、時代はまだ昭和でした。自宅の洗濯場に行けば、二槽式洗濯機の側にまだそれは存在していたのです。アルミ製の洗濯ばさみが!
令和の今となってはネタだとしか思えないでしょうが、エンジンの放熱フィンにアルミ製の洗濯ばさみを三つほど取り付けるだけで、 GAG のエンジン放熱性能は驚くほど向上したのです。元々フルカウルの内側はスッカスカで、小さなエンジンがちまっと鎮座しているだけでしたから、風の通りはバッチリでした。アルミ製洗濯ばさみは充分に拡張放熱板として働いたのでした。調子に乗って峠を攻めに行ったことがあるのですけれど(若気の至り)、全く問題はありませんでした。
エンジン音問題
それと、これはちょっと意外なのですが、スズキ GAG は他のフルカウルレーサー風原付のライバルだったホンダ NSR50 やヤマハ YSR50 と違って、 4 ストロークのエンジンを搭載していました。排ガス規制が厳しい令和の世と違って、昭和の頃は多少排ガスが臭くてもガーッと高速でぶん回せる 2 ストロークエンジンに人気があり、 NSR50 も YSR50 も 2 ストだったのです。いや、当時人気のあった RG250Γ も NSR250 も積んでいたのはみんな 2 ストエンジンで、時代は 2 スト全盛期でした。
ただ、 2 ストロークエンジンは高性能ではあったものの、ある致命的な弱点がありました。……エンジンオイルがすぐ減ってしまうこと? 臭くて真っ白な排煙を派手に吐き出すこと? いいえ、実は 2 ストエンジンは絶望的にエンジン音が安っぽかったのです!
信号待ちで停車して 2 ストエンジン車がアイドリングしていると、「ペンペンペンペンペペン……」なんてクッソ軽い音がして、マフラーからペフペフと間欠的に白い排煙が吐き出され、信号が変わってアクセルべた開けでスタートダッシュすると「ペェェェェェェーーーッ」っと思い切り脱力する感じの音がしたものです。
それに対して、 GAG が搭載した 4 ストロークエンジンは別にマフラーを改造したわけでもないのに、アイドリング音は「ドッ! ドッ! ドッ!」と重低音を響かせ、アクセルを開けると「ドグォォォォォーーーンッ!!!」と、それはもうかっこよいエグゾーストノートを聞かせてくれたものです。一度、排気量違いの NSR250 (これも 2 ストエンジン搭載)と交差点でシグナルダッシュを競ったことがあった(若気の至りその2)のですけれど、パワーや加速力はともかく、排気音だけは圧倒的に GAG の勝ちでしたw
スーツ全損事件
そんなわけで、若造だったわたしはフルカウルレーサーもどきにまたがって絶好調だったのですが、困ったこともありました。社会人になったわたしは会社への通勤にこのバイクを使っていたのです。
ヤマハ JOG に乗っていた頃は何の問題もありませんでした。スクーターである JOG はシート下にあるメットインスペースで充分な荷物を積載することができましたし、乗車姿勢もそれはそれは楽なものでした。
しかし、スズキ GAG には全くと言っていいほど荷物積載能力がありませんし、乗車姿勢も超窮屈な上に思い切り前傾です。どう考えても通勤に使用するバイクではありませんでした。
しかし、社会人になったばかりで貧乏なわたしに、他の選択肢はありません。フルフェイスのヘルメットにバイクグローブまではいいとして、ビジネススーツの上下に革靴、荷物は背中に背負ったリュックサックにインというふざけた格好で通勤することになりました。
しかもあるとき、脇道から幹線道の国道に合流しようとしたところ、クソちっさいレーサーレプリカを舐めきったトラックが幅寄せしてきたのです。交通弱者であるこちらは路肩方向へと避ける他なく、しかもそういうときに限って路肩には砂が散らばっていて……。
気がついたときには見事にステーーーーーンッ!! と転倒していました。ええ、社会人になって買ったばかりのビジネススーツ上下を着たままで、です。合流の途中で充分な速度が出ていなかったので、怪我を負わなかったのは幸いでした。しかし、それでもスーツの袖やら裾やらはそれはもう大変なことになってしまっていて、一発廃棄確定でした。……だから、貧乏だって言ったじゃん(涙)
初めてのロンツー
そんなわけで、貧乏底辺社会人だったわたしですが、中学生の頃から仲が良かった同い年の友人たちは大学生になっていました。みんな関東やら関西やらの大学に進学していたのですけれど、幸い縁が切れることもなく、そこそこ連絡を取り合ったりしていました。
そして夏のある日、阿呆なわたしはある決断をしてしまうのです。
原付バイクに乗って、関西の友だちのところに遊びに行こう!!
ええ、原付バイクでは高速道路を走ることはできません。所謂“下道”が走れるだけです。
でもやりましたよ。十時間かけて、片道およそ 400km 弱の距離を原付バイクで走破しちまったのです。……いやァ、コワイね、若さゆえの過ちってのは。下道オンリーだった上に 4 ストロークの 50c.c. エンジンは異様に燃費が良いので、確かかかった費用は片道で千円ちょっとくらいだったと記憶しています。激安なんてものじゃありませんでした。
その代わりに超前傾姿勢なせいで体重の過半が手首にかかって、過重でそこがお亡くなりに。 300km を過ぎた辺りでクラッチ操作がほぼできなくなって、信号が変わる度にカックンカックンなりながら走る羽目になりました。いや、本当にコワイね、若さゆえの過ちってのは(2回目)
幼年期の終わり
まあそんな風に楽しい原付バイク生活を送っていたわたしでしたが、さすがにいつまでも原付バイクだけで生活していくのは困難でした。会社員になってそれなりに社会的信用もできたので、銀行でカーローンを設定することもできるようになっていました。一大決心をしたわたしは中古の白いホンダ・インテグラ(その頃の、いかにもな若造専用車)を購入して、四輪自動車生活へと移行することとなりました。一時期は原付免許だけでなく、自動二輪免許を取得することも考えたのですけれど、結局その夢が果たされることはありませんでした。
インテグラでの生活が続くにつれて、 GAG の出番はどんどん減ってゆき、庭の隅っこで置物になることが多くなっていきました。そんなある日、知り合いが「庭に転がってるあの原付バイクを譲ってくれないか。友人があんな感じのヤツを探しているんだ」と声をかけてくれたのです。タイヤの空気すら抜けて、後は錆まみれのまま朽ちてゆくに任せることになるのが目に見えていた GAG 。わたしはその知り合いに乗らなくなった原付バイクを譲渡することにしました。
かくして、若造だったわたしのバイク生活はひっそりと終了したのです。まさか三十年後に再開することになろうとは夢にも思わずに。(つづく)
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